今日、職場で営業会議がありました。
ノルマ達成のために、自分の予算に対して足りない予算はいくらか。足りない予算を埋めるために大前提として見込み案件がどれだけあるか。その案件の中で取り組んでいる案件数は何件か。そして取り組んでいる案件の進捗はどうか。これらをまとめて、一人ずつみんなの前で報告をさせられます。
営業によくある会議の光景かと思いますが、何度経験してもいい気持ちには決してなりません。論理だてて案件に取り組むことの重要性はわかるのですが、なぜでしょうか。今回成績が悪くない自分でさえ嫌な気持ちでした。
そこには、理論で追い込まれてぐうの音も出ない、達成しないと吊るされ、晒されると言った恐怖心があるからだと思います。
もっとみんなが前向きに気持ちを込めて仕事に取り組み、実績を出せるようにできないかなと毎回思いますが、長年培ってきたこの営業会議の在り方みたいなものは、一朝一夕には変わらないようです。
個人のノルマではなく、チームとして取り組めば多少なりとも気持ちが前に向くのでは、と私なりに色々考えたりはします。個人に予算を割り振るのではなく、チームに割り当てて、プロジェクト制にしてやってゆくやり方です。なかなか変わらないとは思いますが、気持ちのいい向き合い方として少しばかり提言しておきます。
そのような経験もあり、子育ての際は接し方に気を付けようといつも思います。中には追い込まれた方ができる子もいるとは思いますが、それが大半だとは全く思いません。
Tには娘が2人います。2人とも道を逸れることなく、しっかり育って成人しています。壁にぶち当たりながらも、しっかり地に足つけて生きていることを聞くと、私も嬉しい限りです。(ひとりは転職で好きなジャンルの会社に行けたこと、ひとりはトラブルのあった職場で復帰を果たせたこと嬉しく思います。自分も色々苦労したので尚更理解できます。)
そんな彼女たちに対しての子育てですが、道を逸れることのないよう厳しくしつけたのかと言えば、そんな気配はありません。声を荒げたりせず、ここまでコントロールして育て上げたことは尊敬に値します。
ではなぜ道を逸れることなく育ったのか、私なりに考察してみました。
それは娘たちが母親の愛情をしっかり感じている事がベースにあると思います。愛してくれているから、悲しませてはいけない、しっかりやらないと、という思考になるのだと思います。
実際私もTに対して、そのような感情を持っています。決して声を荒げることもなければ、理詰めしてくることもない。(うじうじすることはありますが。)
そして愛していますし、愛してくれてるから、しっかりこたえなければ、悲しませてはいけない、そんな感情をTに対して持っています。
そう考えると、上役の方々には、寄り添う気持ちを持って頂きたいものだとつくづく感じます。数字達成が前面に出すぎており、良いサイクルは生まれない気がします。憎しみや苛立ちは、憎しみや苛立ちしか生みません。虐待を受けた子は、高い確率で虐待をしてしまうといいます。そのような負の連鎖を起こさない意味においても、気持ちよく働いてもらうためにはどんなフォローができるかな、という目線が大切だと感じます。思いやりは思いやりを生むし、幸せは幸せを生む。逆に苛立ちや不幸も、同じく連鎖するのだと思います。
あー、こんな嫌な会議で神経削られた日は、Tの晩酌で一杯やりたいところです。
T、よろしく頼むで!今日も愛してます。
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